コロナ禍でスポンサーの業績が悪化…、支援が受けられなくなったフェンシング日本代表、鈴木穂波選手が見出す”大変な状況だからこそ定まったビジョン”とは

握手を交わす鈴木穂波選手

世界中に蔓延し、日本でも猛威を振るう新型コロナウィルス。

その被害は人体だけにとどまらす、経済、そしてオリンピックを目指すアスリートにまで影響を及ぼしている。

今年3月、あるフェンシング選手がスポンサー企業から今後の支援ができないことを告げられた。女子エペ日本代表の 「鈴木 穂波」選手だ。

原因はスポンサー企業の業績悪化。新型コロナウィルスの影響で会社の売り上げが減少し、 競技への支援を続けられなくなってしまったのだ。鈴木選手はスポンサー企業から支援の代わりに、正社員として残る道があることを告げられたが、彼女は正社員化の話を断ったのだという。

▼鈴木選手
「以前のスポンサー企業には感謝しています。この情勢の中、正社員として残る道を用意していただけたので。でも私自身、自分と向き合った時に競技を続けたいという想いが強かったんです。」

鈴木穂波選手

鈴木 穂波(すずき・ほなみ)選手。1994年静岡県生まれ。フェンシング女子エペ日本代表。2016年に全日本学生フェンシング選手権大会団体優勝、全日本フェンシング選手権大会個人3位、翌年の2017年にはユニバーシアード競技大会と世界選手権に出場を果たす。2019年に出身地である静岡県沼津市の観光大使『燦々ぬまづ大使』に就任。他にも地元の高校生に向けた講演会やNHKの特集番組に出演するなど、競技以外の場面でも活躍するフェンサーとして知られている。

コロナ禍の中、新しい所属先を探す決心をした彼女だが、その言葉に悲壮感はない。むしろ将来に対する前向きな姿勢さえ感じさせる。

なぜ大変な状況下でも前向きでいられるのか? 彼女が言うには、この状況だからこそ見えてきたものがあるのだという。

コロナ禍で過去を振り返ったからこそ見えた”明確なビジョン”

握手を交わす鈴木穂波選手

スポンサーを失い、目標としてきたオリンピックも延期。普通の選手であれば、その場でうなだれてしまうような事態だが、そんな時だからこそ”選手の枠”を超えたビジョンが見えてきたのだと彼女は言う。

▼鈴木選手
「私は将来、“教育”の視点から「人の心に寄り添いながら、キッカケ作りをお手伝いができる人間」になりたいと思っています。

そう思えたのは、コロナ禍で一度立ち止まって、過去の自分と向き合うことができたからなんです。

それまで私は、フェンシング選手としてオリンピックの出場と全日本選手権で優勝することを目標に戦ってきました。同時に様々な逆境や壁にもぶつかってきたんです。

その中でも今の将来像を考えるきっかけとなったのが、大学2年生の時にユニバーシアード(学生のためのオリンピック)の選考会で負けたことでした。

当時は代表の座を逃し、その後1年半近く落ち込みました。落ち込んでいる間は、全ての物事がうまくいかなくなってしまい、まさに人生のどん底状態だったと思います。

そんな状態だったからでしょうか、今まで当たり前だと思っていた家族や友人の存在、好きなことを続けられることへの感謝、様々な角度から応援してくださる方の存在が、私にとって大切で、自分自身の力になっていることに気づけたんです。

そして私自身も人の力になれるような人間になりたいと強く考えるようになり、どん底状態から抜け出すことができました。それらの気づきによって、自分自身の心も豊かになったと感じています。

このコロナ禍は、当時の気付きと改めて自分を向き合わせてくれました。

現在、スポンサー探しを続けていますが、人のために事業をしている企業、人生をより豊かにしている企業にいきたいと考えています。特に志望しているのが”教育系”です。

私はこれまでフェンシングで学んできたことを、次の世代にもつなげたい。私が偶然フェンシングと出会ったように、きっかけはどこにでもあり、チャンス飛び込む勇気を持てるかどうかが重要であると考えています。」

過去の自分と向き合えたことで、自身が目指すべき場所が見えてきた鈴木選手。現在は自信を持って戦えるよう、選手としての練習をこなしながら、講演会やフェンシングを始めた子供達に、自身が世界で経験してきたことを伝える取り組みを行っている。

筆者が運営する墨田フェンシングクラブでも、小学生の教え子に自身が選手として大事にしていることを語ってくれた。その話を聞いていた教え子の女の子は、鈴木選手のようになりたいと日々の練習にいっそう励んでくれるようになった。

マスクを外す鈴木選手

人に影響を与えるということは、そう簡単にできるものではない。すでに彼女は、自身の将来の夢を実現し始めているのかもしれない。

目標に向かって前進する”若き挑戦者”に支援の手を

アタックする鈴木選手

鈴木選手のフェンサーとしての強さは、一重に『スピード』にある。

その強みは、常に相手を自分の間合いに引き込み、正しい距離とタイミングを測った上で突きにいくことで、はじめて発揮される。

文章で読めば簡単なように思えるが、何を考えているのかわからない相手、特に世界のトップ選手に対してこれらを実践するのは難しい。

さらにフェンシングの本場であるヨーロッパの選手たちは、日本人よりも体が大きい場合が多く、前に出てくる時のプレッシャーも半端じゃない。例え正しい距離とタイミングが測れても、自分よりも体がでかく、力も強い相手を突きにいくのはかなり勇気がいる。

しかし、そんな世界のトップ選手たち相手にも彼女は怯まない。相手を自身の距離に誘い出し、相手の出鼻を挫きながら、確実に点を積み重ねていく。

その勇気ある戦法を繰り出す精神は、競技の外にも現れている。このコロナという未曾有の事態に対して、考えることをやめずに、今後のビジョンを見出し行動につなげているのだ。

その卓越した精神力と、自身最強の武器であるスピードにさらなる磨きをかければ、オリンピック出場も夢ではないだろう。

あとは彼女を支援してくれるスポンサーが必要だ。

どうかこれからのフェンシング界、そして次世代の子供たちのために、彼女を支援してくれるスポンサーを募りたい。


【筆者主宰】騎士のスポーツ、フェンシングを始めませんか?

フェンシングというスポーツを知っていますか?

最初にイメージするのは、中世の剣士たちが繰り広げる激しいバトルだと思いますが、そのバトルをスポーツにしたものが、このフェンシングです。

剣をつかっているので、”チャンバラごっこ”に近いとも言われ、普段やりすぎると怒られるチャンバラごっこも、ここではやった分だけ褒められます。さらに、フェンシングは別名”筋肉を使ったチェス”とも言われており、相手の裏をかく戦いをすることから、頭を使う練習にも最適です。

墨田フェンシングクラブでは小学生から大学生までを中心に、全国トップクラスの実績を持つコーチが、フェンシングの指導を行っています。

あなたも、剣をつかった特殊なスポーツで、非日常を感じてみませんか?


ABOUTこの記事をかいた人

1989年生まれ、愛知県出身。中学から大学までフェンシング選手として活動し、高校で全国7位、大学時代には全国4位に入賞(両方とも種目はエペ)。現在はWEBメディアの編集者として、記事の執筆、編集などを行っている。プライベートでは墨田フェンシングクラブの代表を務め、子供から大人まで幅広い世代を指導するコーチとして活動している。